テフエピソード

テフの開発はグラフィックデザインを学ぶ間に浮んだイメージが元になっています。20才前後だったと思います。グラフィックデザイナーとしていくつかの会社で過ごす内に、コンピューターが発達し、それに伴ってテフのイメージも映像化し鮮明になってきました。独立して会社を持ち、外部の有能なデザイナーIT氏にデザインとプログラムを依頼、ほぼ10年かけて完成に近づきつつあります。開発の経過が知りたい方は〈テフストーリー〉をご覧ください。

テフストーリー

1939→1954=0→15才

1939年東京生れの7人兄弟、5番目の私は将棋も囲碁も子供の頃からやっていました。 4才頃から田舎に疎開しましたが、小学生のいつ頃か定かではありませんが、すぐ上の兄と将棋をして負けた悔しさから、将棋盤をひっくり返した記憶や、親父に勝って嬉しかった記憶が残っています。
長野の信濃町にある小学校を卒業し、中学から東京に戻ってきました。 ある日私が将棋をやるのを知ったのか、たしか加藤君だったと思いますが「将棋をやろうよ!僕に家においでよ。」と誘ってくれました。 下校途中に彼の家はあり、上がらせてもらって将棋を始めました。私はゆっくり考えるタイプで、普段どおりに差して長考に入りました。 しばらくすると、彼は顔を真っ赤にして傍らの新聞を手にとり、両手で大きく拡げて読み始め私の次手を待っておりました。 くやしさとはずかしさを強烈に感じてしまい勝負には負けました。 駒の効きを盤面から想像して先々を考えるという習慣に対してかなりショックを受け、その後は将棋に関心を失いました。

1962→1967=23→28才

テフのアイデアを思いついたのは、グラフィックデザイナーになろうと芸大を目指しましたが失敗、職能学校(御茶の水美術学院デザイン研究科)で学び、同校の卒業制作を考えた時です。 当時四角い升目をずらしたパターンを習作していて、その際にイメージが浮んだようです。 実際の卒業制作はテレビCFの企画を出して卒業しました。
その後デザイナーとしてデパート宣伝部(白木屋後に東急デパート)に就職、当時グラフィックデザイナーの登竜門だった日宣美展に2年連続受賞して、同会のメンバーにもなれました。 1978年の会員作品の展示で「将棋におけるポテンシャリティーの表現」というテフの基礎となる考えをパネル展示しました。 評価は全くありませんでしたが、何故か「デザイン」という雑誌の1頁に掲載されました。 (写真1)その後は職能としてのグラフィックデザインの仕事をしながら、ふと間があるとアニメーションにしたらどうなるかを考えてしまう自分がおりました。 アニメは当然、1枚1枚セル画を描きますから、テフの作成を想像すると厖大な枚数となり、1人では無理でありことがわかります。 当時のコンピュータ事情はといえばIBM等の大型機が幅をきかし、アメリカではどうか知りませんがコンピュータグラフィックという言葉もなかった時代です。

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